《希望への道標》 作品説明

近代化以降、特に近年は国内外問わず社会的に「男女平等」が謳われています。そういった時代のなかで労働環境の変化も生まれ、ますます女性が社会進出できるようになってきました。
女性が役職につく機会も増え、それと同時に収入が増えたり、時間の使い方に幅が出来たりと、女性にとって良いことが増えました。しかしそれを維持し続けるためには、基本的に働き続けてゆかねばなりません。
社会人となり、24歳、25歳…と年齢を重ねていくうちに、女性には所謂「結婚適齢期」と言われるものが訪れます。時代の状況や個人の考え方によって様々ですが、個人の感性や時代の流行などに関わらず肉体の適齢を原理として、「結婚適齢期」だとか「出産適齢期」といったものが今でも厳然と存在しています。
と同時に、恋愛結婚が主流の現代では、結婚に至るまでの流れ〈25~26歳で相応の人と出会い、27~28歳で結婚し、30前には子供を産み…〉を肉体的にベターな人生設計として、未だ多くの現代人は想い描いているのも現実です。
「社会人」としての人生設計は、「男女平等」の文字通り女性も男性同様に働き続け、出世して…という人生を望むことがごく自然な事となりつつありながら、そういった現実がある。従って、現実の社会が一人の女性の社会的自立心とは容易に連動しないのが現状であり、男性と同じように働いていく程、解消しない問題と葛藤が浮き彫りになってきているのが現実なのです。
お金を稼ぐことができて、時間の使い方も自分で判断できて、誰かを頼らなくても、媚びなくてもよい自立性を獲得すること。それは、確かに女性にとって喜ばしいことです。しかしそれによってこれまでの女性的な立ち振る舞いや生活スタイルは、男性的な傾向に近付いていると感じます。俗に言う「男女平等」ということは、相対的には女性が男性化していく動きだと考えられるのです。
そういった女性達はキャリアを満喫する日々の中で、確かに〈一個人〉として満たされていくだろうけれど、年を重ねるうちにふと、〈女性〉としての幸せ、〈人間〉としての幸福って何だったのだろうか?と思い始めることが少なくないのです。客観的で俯瞰的な視野を持つ人ほど、そのように感じることが多いようです。
個人の幸福感だけでは覆い隠せない不安や疑念を抱く女性が実に多く、彼女達の苦悩はとても深刻なのです。しかし現代社会は、この事実にあまり気づいていないようです。

「自由は増えけど、一体何が幸せだったのか」

もちろんそうした疑念を感じていない女性もいます。結婚や妊娠、出産というライフプランをとりわけ意識せずに生きる女性達です。こういった女性は昔より増えているでしょう。しかし一方で比較的多くの女性達が、旧来から在る「女の性」を潜在的に意識し強く願望していると、僕は考えています。
ここで言う「旧来」というのは古いという意味ではなくて、「女の性」を全うする、時代とは関係なく体の構造が持つ資質を活かすという意味です。
妊娠、出産、育児という喜びや困難が入り混じる一大事を引き受けながら生きる。かくいう女性自身も、そうやって育てられた一人でもある訳です。
そういった経験を自らが獲得できないかもしれないという恐れは、漠然とした不安の大きな要因の一つになっているはずです。

この作品《希望への道標》で描いているのは、時代的な混沌ともいえる「何が自由であり幸福なのか」が分からなくなって、苦しんでいる女性の状態です。従って男性化のメタファーである〈雄の象〉のマスクを被り、〈槍〉を手にして武装しています。視覚を奪われ、どこに進んでよいか分からない盲目的な状態で、混沌(カオス)の渦の中で三半規管を乱され、天地も左右も分からなくなった様子として表しています。

「本当に自分は幸福に近づけているのか?」という、漠然とした不安の中で必死に戦う女性は、〈現実〉と〈切実な理想〉のはざまで葛藤しています。
彼女達はそのような姿を決して他者に見せません。切実で深刻な問題故です。
その秘めたる感情(同時に人の目に触れさせないようにするその姿勢)は、実に人間らしいものであり、もがき葛藤する姿は不様とも言えます。だからこそ僕は、そんな彼女らの包み隠さぬ真実の姿を美しく昇華させたいと思うのです。

このような混沌の中でも、「こういう生き方が幸せなんだ」と信じられる、一つでも指標が見つけられたら素晴らしいし、それこそが混沌を打ち破る希望になるはずです。

それは社会や他人から与えられるものではなく、自分が決める指標です。
社会が求めるからとか尊敬する誰かの言葉に従うとかではなくて、自分で決めなければいけないのです。
作品の中で、〈分銅〉がその象徴として描かれています。地が分かれば天を示すことになり、浮上の手がかりとなる分銅です。
分銅は現実的には何でもいいのです。例えば偶然手にした本の一説でも、友人の発した何気ない一言でも。そういった指標を探し当てることで、怖くて捨てられなかったものを恐れることなく捨てられるかもしれないし、〈生きる意味〉を得られるかもしれません。

複雑化する現代社会を強く生き抜く女性達。彼女らに希望への道標を見つけて欲しい。
そう願ってやみません。

※「男女平等」とは本当はそれぞれに産まれ持った性を引き受け、それぞれの性差を喜び、讃え合い、仕事や暮らしの中でおぎない合い、活かしあうものではないかと個人的には考えています。あくまでもこれは僕個人の見解です。

関連記事

タグ