今こそ奮い立つ男の物語(3) - インタビュー 聞き手 編集部T子 –

  • アートコレクターズ
  • インタビュー
  • 女神
  • 男と女
  • 男尊女尊

柳宗悦「民藝」と、「ゼルダの伝説 breath of the wild」に見る人間愛

三田 今日の話題にタイムリーな本を持ってきました。柳宗悦の「民藝」です。ここに興味深い文章が載っています。
「民藝というのは民衆の手で民衆の為に作られる実用品を意味します。見られる為よりも用いられる為に作られる品を指します。私が是等のものを特に尊ぶのは、ここで美と生活との調和を見るからであります。今日まで、多くの批評家はあまりにも生活から離れた美をのみ讃えて来ました。しかしその結果、美はとかく病的なものとなり、生活は醜さに浸(おか)されて来ました」「美しさにも色々の性質がありましょうが、私は畢竟(ひっきょう)『健康の美』を最も本質的なものだと考えます。私はそういう『健康な美』が多量に民藝品に含まれていることを目撃する者であります。私はそれをNormal beautyと呼びたいのであります。一見すると平凡な美に思われましょうが、結(けつ)極(きょく)は、これにまさる美はありません」
つまり美とは、人間の営みであり身体に根差したものあると。ここにとても共感できます。
僕はよくできている映画やゲース等作品をプレイ・鑑賞しながら、いかに作り手が工夫しているかを考えるのが好きです。最も近々だと世界的にも群を抜いて評価が高かったゼルダの新作をやっていたんですが、あまりの完成度の高さに感動しました。どう凄いか端的に言うと、様々な調整・工夫という作品の洗練が人間の生理的な心地良さに基づいて作られているところです。それって愛を前提とした好奇心による人間というものの研究の結果をいうか……。たとえばストーリーや音楽もですけれど、細かくは効果音やエフェクト、キャラやオブジェクトの挙動、フィールドの広さや環境音、1回のプレイ時間で訪れるストレスや対する報酬のやってくるリズムだったり、克服しなければいけない壁の高さやその方法等……。人間の普遍的な感性に根差しているクオリティって、人間への愛情の表現ではないでしょうか。『民藝』に書かれていることとも共通するんですが、人間に根ざしているということ、そこにしか本当の共感はないと思うんです。

T子 そのことが、三田さんの作品コンセプトにも繋がっていくわけですね。

三田 今の時代は各々の好き嫌いが容易に肯定される多様化と言われる時代。絵をとっても、それほどでもない絵も素晴らしい絵も、売れたり売れなかったりする。どこか得体の知れない時の運に翻弄されるような、結果に実感が持ち辛い時代です。仮に完売と言ったところで本当の自信になるのでしょうか?僕は、そういうところに心を満たす意味や充実を感じづらいです。いかにして人間に接近するかということが大切だし、そのコンセプトの上に、ディティールの表現として個人的な夢だとかフェティシズムを載せられたらいいと考えています。

T子 人間に接近するとは、どういうことですか?

三田 つまり人間という存在に対し、興味や愛情を持つ、人間の根源的な感性を信じるということです。そういう姿勢でしか、人は本当の意味で分かり合えない。だからゲームであっても、すごくリスペクトするし、感動もする。ちなみにそういう観点で見る映画やプrpダクトデザインも好きですし、そういう感性の人や物と関わっていきたいです。

T子 共感できる部分は大いにありますが、気になることもあります。さきほど「ゼルダの伝説」の話が出ましたが、そこまでリアルに再現されるものって、怖い気がしています。三田さんの場合は、絵を描くことが軸足をしてあるから問題ないけれど、バーチャルな世界に生身の身体性をすっかり代替されてしまったら、実践は必要なくなってしまう。そこで完結してしまうのではないでしょうか。そこに危機感を感じます。三田さんのお話はそもそも、こちら側の世界、つまりリアルな世界の復活を唱えるものです。バーチャルな空間で根源的な感性や欲望を満たしているうちに、どんどん向こう側に行ってしまい、帰ってこられなくなるんじゃないかと。「現実の方がいいや」と思える出来の悪さも残しておかないと、まずいような気もします。ゲームに没入し過ぎると、「S」が弱体化するはずです。

三田 僕の場合はゲームを楽しむ消費者でありながら、一方で作り手側にすごく興味が沸くんです。そういう意味では生きる本道が見つかっているなら、危険にさらされずにゲームを楽しめるかもですね(笑)

T子 メディアアーティストの落合陽一さんは「魔法使い」と呼ばれていますが、彼の本を読んだら、デジタルツールがますます発達していく今後、それに使われてしまう、つまり魔法をかけられる側になってしまっては駄目で、21世紀型人間は魔法をかける側に立つ必要があるんだと。そう考えると、三田さんはクリエイターだし、魔法使い側の人というわけです。
めちゃくちゃ精巧な魔法が誕生してしまった現代こそ、「S」の力ももちろん大事だし、アートという面で言えば、土を捏ねる、絵を描く、木を彫るといった手を動かす創作行為って、ものすごく大事だと思います。

 

アートコレクターズ2018年1月号掲載記事より一部抜粋

関連記事

タグ